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白鳩の部屋(白・ω・鳩)-9
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「私はこの歌が好き。歌詞がストレートで共感できるから。」「そうね。ただ、メロディは少し単調じゃない?」「そうかも。でも、その単調さで、かえって歌詞のよさが伝わるんじゃないかな。」「それは言えるね。」
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>>84
こっちも荒れてきたから智秋のスレに移動して!
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芸能人ってこういう気分なんかな?(笑)
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単なる好き嫌いの「批判」ではなく、ここには好きと嫌いの理由が入っている。好き嫌いの理由がきちんと言えるようになると、「批判」は「批評」に近づく。「批評」とは、自分なりの価値基準の根拠を明確にして、物事を評価することである。そのためには、自分の感受性や考えを的確に表現できるだけの言葉がたまっている必要があるのだ。
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批評ができるようになると、友達どうしの関係も変わってくる。単に趣味の合う者どうしではなく、趣味の違いを受け入れ合えるような関係になるのだ。友達どうしで批評を交わし合うこと、それは単に自分の考えを表現するということではない。互いに「自己ルール」を交換し合うということである。「自己ルール」とは、その人がそれまでに身につけてきた「よい・悪い」の判断や美意識の価値基準の根拠のことだ。大切なのは、いろいろなものを批評し合う中で、友達と自分の「自己ルール」を確かめ合い、認め合い、そして調整し合っていくということなのである。そこに、人間どうしのコミュニケーションの内実がある。
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実は、こうした批評し合う関係によってしか、人は自分の「自己ルール」を理解することはできない。私たちは誰でも、自分なりの「自己ルール」を、いわば感受性のメガネとして掛けている。これは長い時間をかけて形成されたものだ。だから、自分の感受性のメガネがたとえゆがんでいたとしても、自分一人では決してわからない。自分のメガネの見え方が適切かどうかに気づくのは、他人のものの見方と自分のものの見方とを比べて、その違いや偏りに気づくときだけである。
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もちろん、全ての人が自分の「自己ルール」を自分のメガネとして掛けているのだから、絶対に正しいメガネというものは存在しない。しかしそれでも、私たちは批評し合うことを通して、さまざまな他者の「自己ルール」と自分の「自己ルール」との違いを少しずつ理解する。そのことで初めて、自分の「自己ルール」のありようを自覚し、了解する。また、批評を重ねていくことで、私たちは互いの「自己ルール」を常によりよい形に編み直していくことができるのだ。
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言葉がたまらなければ、批評し合う友人関係はもつことができない。批評のない友人関係では、本当の意味で自分を知ることも、相手と理解し合うこともできない。「批評」の言葉を自分の中にゆっくりためていくことは、自分を深く理解すること、相手とより確かな関係を築くこととしっかりつながっている。
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