041 天皇の主体的な関与:一方で、昭和天皇が全くの「被害者」であったかという点については歴史学者の間でも議論が分かれています。 御前会議に出席し、戦争の決定に関与していた事実や、作戦や情報について報告を受けていた記録も残されており、主体的な関与を指摘する研究者もいます。 匿名さん2026/05/25 12:47
042 東京裁判における扱い:第二次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)では、天皇の戦争責任は訴追されず、退位も行われませんでした。これは、アメリカの占領政策において日本の統治を円滑に行うために天皇の権威が必要とされ、政治的に利用された(温存された)と指摘される理由の一つになっています。 匿名さん2026/05/25 12:48
045 1. 戦没者の慰霊と顕彰 命を捧げた人々を祀る:明治維新、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦(太平洋戦争)などで、国家のために命を捧げた246万6,000柱以上の神霊が合祀されています。 軍人以外も対象:戦地で戦った軍人だけでなく、戦場で亡くなった看護師や女学生、学童疎開中に撃沈された船の子供たちなども含まれています。 匿名さん2026/05/25 12:53
046 2. 国家神道と歴史的背景 東京招魂社が起源:1869年(明治2年)に明治天皇の思し召しによって建てられた「東京招魂社」が始まりです。1879年に現在の「靖国神社」に改称されました。 国が管理していた神社:戦前は国家神道のもと、陸軍省と海軍省が共同で管理する特別な神社であり、国民の愛国心や戦意を支える精神的支柱としての役割を担っていました。 匿名さん2026/05/25 12:55
047 3. 戦後の位置づけと議論 民間宗教法人への変更:戦後の「神道指令」によって国家から切り離され、現在は一宗教法人となっています。 諸外国との摩擦:1978年に東京裁判の「A級戦犯」が合祀されたことや、総理大臣などの公式参拝を巡り、現在も国内外で政治的・外交的な議論の対象となっています。 匿名さん2026/05/25 12:56
048 本当にあった悲しい話 八甲田山で戦死した亡霊達が行進していると噂になり国は靖国神社に戦死者の慰霊碑を建てた。すると効果があったのか亡霊話も一段落。しかしまた目撃談が増えて、青森駐屯基地の生き残った隊長が真相を確かめる為に青森駐屯基地の小屋に一週間寝泊まりしたが、何も起きず。明日東京に戻る日の夜に起きた。微かにラッパの音が小屋に届き、行進する足音が段々大きくなり小屋の前まで来た。隊長は意を決して外に飛び出すと部隊は整列してユーターンして八甲田山に歩き始めた。隊長は戦争はもう終わったと叫ぶも届かず。隊長は一か八か号令をかける。全隊止まれ!するとピタッと止まり精霊達は号令をかけた主を見た。隊長が戦争は終わったお前達は死んだと伝えると、おかしいと思いました歩いても歩いても基地にたどり着かない自分たちは死んだんですねとシクシク泣き始めた。隊長も一緒に泣きお前達の慰霊碑が靖国神社にある。そこに行けと号令をかけるとハイ分かりましたと靖国神社の方向に行進し始めた。隊長は全員の姿が消えるまで見送った。 匿名さん2026/05/25 13:14
049 >>37 太平洋戦争における日本兵の死因の7割は天皇以下軍統制部が兵站を無視したことによる餓死と病死 1割は戦争末期に敗色濃厚にも関わらず民間徴発船(漁船とか客船とか)で護衛も無しに前線に輸送され撃沈たことによる水死 「戦死」したことになっている残りの2割の半分も銃も弾薬も持たずに“バンザイ突撃”で自殺同然 残念ながら「戦って死んだ勇者」は1割くらいいるかいないか?程度 匿名さん2026/05/25 20:00