187 >>41>>175 「志位和夫氏は規約に無理解」シリーズ 第1弾 分派とはなにか?の問いに共産党は回答できない(2023年10月16日) 「分派とは何か?」、松竹伸幸の共産党中央へのこの質問に、党中央は回答そのものを拒否しています。「50年問題」の際、宮本顕治元党議長は、分派とは何か?についてある論文で述べています。松竹伸幸は、この論文での分派の規定に沿いながら松竹伸幸の言論と活動が、分派とは到底言えない、ということをわかりやすく解明しています。 匿名さん2023/11/01 23:462
217 >>80>>187>>212 日本共産党による徳田球一の評価 「50年問題」党史上最大の誤り 2021年1月10日 日本共産党の歴史のなかでも、最大の悲劇、最大の誤りは「50年問題」です。 ――1950年1月6日、コミンフォルム(ヨーロッパ共産党・労働者党情報局)の機関紙に掲載された論評「日本の情勢について」。その背景にあったのはスターリンによる日本への武装闘争のおしつけをはじめとする干渉作戦だった。 ――これに🟦呼応した️徳田球一>>214、野坂参三らが中央委員会内部に分派を組織する。 ――6月6日、マッカーサーによる日本共産党の国会議員を含む全中央委員24人の公職追放指令がだされる。これに対して徳田らは正規の会議を開くことなく、中央委員会解体宣言と「臨時中央指導部」(臨中)の組織をはかる。 ――徳田らが亡命先で組織した「北京機関」によって武装闘争方針(51年文書)が日本に持ち込まれる。 ――徳田らに🟦排除された宮本顕治>>53らの統一と団結を回復するための原則的な活動が展開される。。 匿名さん2023/11/07 21:2410
219 >>80>>187>>212>>217 日本共産党の党史で歪曲された事実 🟥「50年問題」 1950年1月6日、コミンフォルム(ソ連の指導の下で各国共産党間の活動を調整する共産党・労働者党情報局)が「日本の情勢について」と題する論文を機関誌『恒久平和のために人民民主主義のために!』に掲載。 野坂参三らが主張していた平和革命戦術(愛される共産党)について、"日本は米国の完全な従属化にあるにもかかわらず、日本共産党の一部のものは、米軍の撤退を求めて独立を闘いとることもしないのみか、占領下においても社会主義への平和移行が可能であるとさえいっている。このような野坂のいう平和革命論は、米軍とその背後にある資本家勢力を美化し、日本の人民を欺く理論であり、マルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないもの"と痛烈に批判した(『コミンフォルム批判』)。 匿名さん2023/11/07 23:026